煩悩の数が108以外の説もある?仏教との関係は?
煩悩が108もあるのは除夜の鐘などの情報で知っている人も多いです。
しかし、その煩悩の意味や由来、そしてその中の三毒といった情報をわかりやすく解説できる人は少ないでしょうか。
そこで、今回は煩悩の意味や由来や除夜の鐘との関連性など気になる情報をまとめて紹介して参ります。
ちょっとしたうんちくにも使える知識が詰まっておりますので、是非ともご覧ください。
煩悩が108もある意味や由来は?
そのため、仏教における煩悩は人間の苦しみの原因とされています。
この煩悩が除夜の鐘を108回衝くことで108個存在するというのが俗説となっていますが、時代や宗派や部派や教派によって数え方がまちまちとのことなので宗教や国によって数が異なると考えた方が良いです。
この108個というのは98の煩悩と10の煩悩をセットにして誕生したという説や、六根という人間の認識能力に3つの良い悪い普通の認識と迷いがあるかどうかの2つの認識と過去現在未来という考え方をセットにして6×3×2×3で108個になったという説があるのです。
どちらの説もちょっと難しいので、やや本格的に解説します。
まず98の煩悩に10の煩悩を足したという説は、九十八随眠(ずいめん)と十纏(てん)という煩悩のセットです。
この九十八随眠は「倶舎論」や「随眠品」にも記載されている煩悩の別称で、貪・瞋・痴・慢・疑・見の六随眠を起点として欲界と色界と無色界の三界に配置して細かく分類したものです。
そこに十纏とよばれる10の煩悩を追加して108個と考えています。
人間の認識能力に3つの良い悪い普通の認識や迷いなどを起点にして108個にするという考え方は、私たちの認識能力である「眼・耳・鼻・舌・身・意」を起点とします。
この6つを用いて綺麗なものと普通なものと醜いものの3つに区分けすることで18個の煩悩が誕生し、迷いの生じる状態と迷いの生じない状態の2つに分岐します。
そこからさらに過去と現在と未来の三世という考え方をするためにさらに3つに分岐するのです。
その結果、108の煩悩が誕生するという計算になります。
煩悩の中の三毒について
仏教における煩悩の数は宗派などで異なりますが、その考え方の根源的なものは同じとなります。
その根源に近い位置にいるのが三毒です。
この三毒は貪欲・瞋恚(しんい)・愚痴の3つで構成されており、それら3つの単語を取って貪瞋痴(とんじんち)と呼ぶこともあります。
漢字からもわかるようにこの煩悩は毒のように私たちの心をむしばむ要因と考えられており、非常にたちの悪いものとなっているのです。
貪欲はあらゆるものを欲しいと思って執着する心、瞋恚は怒ることや腹を立てることという意味があり怒りを抱いてしまう心、愚痴は愚痴をこぼすとは意味が違い真実や真理を知らずに物事が判別できない心を意味します。
この三毒は人間の思考や心を結びついているため完全になくすことはほとんど不可能と考えられており、仏教の教えにおいても「完全に消滅させる」のではなく「完全に制御する」ことがゴールと考えられているのです。
この三毒を抑えることこそが仏教の教えの根幹であり、根っこの部分であります。
除夜の鐘との関係は?
煩悩が108個という説が日本でも爆発的に広まったのは除夜の鐘でしょう。
年末から年明けにかけて行われる除夜の鐘は新たな一年を迎えるために煩悩を消し去って良い一年を迎えるための儀式とされています。
仏教が伝来した中国由来のものとなっていますが、先ほど記載したように宗派などでこの煩悩の数は異なっているのでお寺によってつく回数が違うこともあるのです。
ただし、この108回という回数は「たくさん」という解釈も実はありますので、それ以上衝くところもあると言われています。
一般的な除夜の鐘のルールは大晦日のうちに107回鐘をついて最後の1回は年が明けてからつくとなっているので覚えておくと良いでしょう。
108以外の説もある?
108個の煩悩の数というのは明確なルールとして広まっているわけではないので、時代や教派や宗派によってまちまちなのです。
考え方は煩悩の数であることは間違いないのですが、どのように煩悩を捉えているのかで数が大きく変動しているので108個以外もあると考えてください。
少ないところだと3個となっていると聞きますし、多いところだと8万個を超えていると聞いています。
仮に8万個以上も煩悩があると考えられているところで除夜の鐘を用意する場合はどうなるのかがとっても気になるところでしょう。
1日中やっても終わらない可能性があります。
基本的には煩悩の数であるので、その考え方や由来はほぼ同じとなっています。
最初の数となっている3個というのもおそらく煩悩の基本となっている三毒からきているのでしょう。
ちなみに、煩悩の数が88個という説もあり、この88個という数はお遍路で知られる四国八十八ヶ所のお寺に繋がっていると考えられています。
日本でもこの三毒や煩悩を取り払うために護摩行や滝にうたれるといった修行を行っている人が多くいます。
日本でも大人気スポーツとなっているプロ野球の元選手新井貴浩氏が護摩行をする姿は非常に有名ですが、あれは元々仏教的な煩悩を焼き払ってもらうための修行の一つなのです。
ただし、かなり至近距離で炎が燃えていますので火傷する恐れもありかなり危険な修行でもあります。
108の煩悩と仏教の関係
サンスクリット語ではクレーシャと呼ばれる煩悩は漏や随眠という表現もされますが、日本人的には煩悩の方がやはりメジャーでしょう。
この煩悩の考え方の根幹にあるのが三毒で、物事に執着する心を表す貪欲、怒って腹を立ててしまう心を表す瞋恚、真実を知らず物事の正しい判断ができない愚痴の3つです。
このように起源を調べて見ると納得できる教えも多いのが仏教の教えなので日本人にすんなり馴染むことができたのでしょう。
人間の五感と良いか悪いか平均なのかの判断、そして迷っているかいないか、今か昔か未来なのかの考え方が組み合わされることで誕生するのが108という数字です。
ちなみに、この108という数字はあちこちで活かされていると考えられており、四字熟語の四苦八苦もここからきているという説があるのです。
四苦八苦を数字で表すと、4と9と8と9となりますがこれを「4×9+8×9」とすると108になります。
煩悩は消すことができる?
除夜の鐘は煩悩を消すために用意されたものではありますが、現実問題として煩悩をなくすことは不可能です。
なので、仏教の教えでは三毒や煩悩をゼロにするのはなく完全に制御下におくことを理想と考えています。
ただし、「煩悩を抑え込むことでやる気もなくなってしまうからむしろ抑えない方が良い」という意見もありますし「欲しいものがあればそれを目標に頑張れるのが人間なのだから無欲であることの方が問題なのではないか」と指摘する声もあるのです。
このように人によって主義主張もことなりますので、なんとも言えない部分となっております。
まとめ
以上、いかがだったでしょうか。
今回は煩悩と108個の数の由来などをお伝えしました。
煩悩の数については諸説ありますがこの108個というのは色々と日本に影響を与えている数字なので、その由来から発展したものを見てみるのも面白いです。
しかし、人間は煩悩をゼロにすることはできないのであったとしても制御して行動できる人がまさに理想的となるのでしょう。
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