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鏡開きの日にちが関西や関東など地域で違う理由は?

鏡開きの日が関西や関東など地域によって違うのはなぜ?

お正月というお題目で今でもしっかりと残っている風習の話題になると、鏡餅や初日の出や除夜の鐘などが出てきますが、鏡開きというワードも出ています。

しかし、この鏡開きが地域によって日にちが違うのはなぜか?お酒の鏡開きとはどう違うのか、いつまで飾るのか、何らかのマナーは存在するのかといった疑問点もあるでしょう。

そこで、今回はこの鏡開きの由来や意味をチェックしいつ行うのかも調べて参りましょう。

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鏡開きの日にちが関西や関東などの地域で違う理由は?

鏡開きのタイミングがここまでバラバラになってしまった理由は諸説ありますが、今のところの通説となっているのが徳川三代将軍の徳川家光が4月20日に亡くなったので、20日が月命日になってしまったことにあると言われています。

元々、鏡開きは1月20日に行われていたのですが、月命日に行うのはおかしいと言うことで鏡開きのタイミングがずらされて1月11日に変更されたとのことです。

しかし、小正月はあくまでも15日までなのでその期間は歳神様がまだいらっしゃるのに鏡開きを行い餅を割るのは失礼に当たります。

この考え方から小正月のタイミングも15日までという考え方から7日までと短くされたのです。

ただし、この徳川幕府による小正月の変更はお膝元である関東圏にはある程度伝わったのですが、関西圏にまでは浸透しなかったためこのような鏡開きにおける日付の違いが発生していると言われております。

しかし、九州や北海道では1月11日が鏡開きと認識されているという情報もありますので、関西や一部の地域だけ15日や20日になっているままというのは気になるところでしょう。

九州では久留米市の大善寺玉垂宮で行われる一月七日の夜に行う追儺の祭事「鬼夜」が目安となっているので松の内が1月7日までになっているというお話も聞いたことがありますので、関東以外で松の内が7日になって鏡開きが11日になっているところは独自の風習によりその日に設定していたという可能性が高いと思っています。

また、京都や一部の地域が1月4日が鏡開きになっているのはその地域だけが特殊で、伝統的に三が日のすぐ後に鏡開きが行われていたというのが通説のようです。

ただし、100%この説が正しいという説はありませんのでなんとも言えません。

このように徳川家光の月命日によって鏡開きの日が変わったという説もありますが、それ以外に火事防止のために日付をずらしたという説もあります。

江戸の城下町というのはどうしても火事によって燃えてしまうことが多く、火事を何よりも嫌っており放火が最大の犯罪という扱いになっていました。

実際に1月20日が鏡開きとして江戸庶民に親しまれていながら、松飾りを飾っているタイミングで火事になったケースも存在します。

江戸幕府は少しでも火事による被害を減らすために、燃えやすいお正月飾りをし続ける期間を減らすべきという考え方に至ったため、松の内の期間を今までの15日までではなく7日までに変更したと考えられています。

理由が「月命日だから」ではなく「燃えやすいお正月飾りを出している期間を短くした方が安全だから」とした場合、その考え方に同調したところは次々と取り入れるようになるでしょうし、そこまで危機感を覚えなかったところでは今まで通りに松の内を1月15日までにして鏡開きを20日にしておけばいいでしょう。

鏡開きの日付松の内が明ける日地域
1月11日1月7日東日本や九州など
1月15日もしくは20日1月15日関西を中心とする西日本
1月4日1月15日京都府と近隣の一部地域

鏡開きの意味や由来

鏡開きで用いられる鏡餅は、元々三種の神器の一つである八咫鏡の形をとっていることから鏡餅と言われております。

そのため、鏡餅にも神聖な力が宿っていると考えられており歳神様のよりしろとして扱っているのです。

この依り代である鏡餅をお正月期間が終わった後に食べると、神様の力を一部授かることができるので体に良いとされてきました。



この鏡餅由来の鏡開きの考え方が最初に浸透したのは江戸時代の武士と言われており、お供えしたお餅を1月20日に食べることを「刃柄(はつか)を祝う」と考えて取り入れられていたのです。

ただし、刃物で餅を切るという行為は節にとって最大の屈辱である切腹に通じると考えられたので、「切る」とか「割る」という言葉をさけて開くを使ったと考えられています。

また、この当時の鏡餅はやたらと堅かったので堅い鏡餅を食べることが「歯固め」に通じると考えられ、歯を丈夫にして健康になると言われていました。

この考え方が庶民にも浸透したのがルーツなのです。

鏡開きのマナーは?


鏡餅を刃物で切るのは切腹に通じるので、基本的にはNGと言われています。

これは今でもしっかりと残っている考え方であり、鏡餅を食べるときはハンマーで叩いて割っているのです。

それ以外にも「神様の魂が宿った物を刃物で切るのは失礼だから」という説もあるのですが、それなら木槌で砕くのもなかなかに失礼な気がすると思ってしまうのでなんとも言えないです。

とりあえず刃物を使わなければOKとしておきましょう。

しかし、今では本格的な鏡餅ではなく市販されている小さなお餅が中に入っているタイプの鏡餅が主流となっているので、割っている人は少ないと思われます。

鏡開きの上手なやり方


ちょっと本格的に鏡開きを行いたいという方は、餅の状態を割れやすい状態にしておく必要があります。

基本的には鏡餅を下げるときに感謝の気M地を込めて丁寧に拭く必要があるのですが、水分が多いととてつもなく割りにくいので苦戦します。

鏡餅のようにずっと飾る物はとてつもなく乾燥して堅くなっていることが多いので、苦戦することは少ないのですが、むしろ堅すぎる状態になってしまった場合は少しずつひびを入れてから最後に勢いよく割ると良いでしょう。

水気が多すぎる場合は割ることを諦めて半日ぐらい鏡餅を水につけた後にラップに包んでレンジで温め、その後はものすごく柔らかくなっているので手でちぎってください。

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樽酒の鏡開きの由来は?


お酒の方の鏡開きも、お酒の蓋が平らな形から「鏡」に見えたとのことで鏡開きと言われております。

ただし、ここでも割るとか切るという言葉は縁起が悪いとして開くという表現をしていると考えられています。

お酒の鏡開きは戦国時代の武士達が気持ちを高ぶらせるために取り入れていた風習で、振舞酒として用いられていたと言われているのです。

また、丸い形から「円満」や「末広がり」といった意味をもっているため、現在でも新たなスタートや節目の行事として受け継がれているのです。

お酒もお餅と同様に原料はお米のため、とても神聖な飲み物とされています。

そのため、健康や幸福を祈願し樽を開いた後は、参列者でお酒を酌み交わしますますの成熟を願うのです。

お餅の鏡開きと樽酒の鏡開きは、どちらも新たなスタート時や区切りのときに無病息災を祈願するという同じ意味合いがあります。

まとめ

以上、いかがだったでしょうか。

今回はお餅の鏡割りについて詳しく解説しました。

鏡割りは今ではしっかりと実行している人も少なくなっている風習ですが、このようにかなりの歴史がある風習なのです。

歳神様のお話と絡めるとお正月とも非常に関係の深いイベントが鏡割りとなっていますので、2020年は取り入れてみてはいかがでしょうか。

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