神嘗祭と新嘗祭の時期がずれた理由は?大嘗祭との違いは何?
10月に行われる行事と言えば、ハロウィンを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。
日本ではハロウィン=仮装パーティーのイメージがありますが、起源はケルト人の悪霊払いです。
それがアメリカに伝わってからは、秋の実りをお祝いする収穫祭となったと言われています。
そして日本でも、ハロウィンが伝わる以前から、秋に収穫をお祝いする行事が行われているのをご存知でしょうか。
日本人にとってはハロウィンよりも大切で重要な行事ですが、意味や由来を知っているという方は少ないかも知れません。
そこで今回は、神嘗祭と新嘗祭について調べてみました。
神嘗祭と新嘗祭の違いや、勤労感謝の日との関係なども合わせてご紹介したいと思います。
神嘗祭と新嘗祭の違い
神嘗祭と新嘗祭は共に秋に行われる宮中祭祀(宮中祭祀とは、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈ることを目的に行う祭祀のことを言います)ですが、この2つには様々な違いがあります。
そこでここでは、神嘗祭と新嘗祭の違いについて詳しく解説していきます。
神嘗祭と新嘗祭の意味や由来
神嘗祭も新嘗祭も五穀豊穣をお祝いする収穫祭ですが、それぞれの由来が異なります。
神嘗祭は、721年から始まったとされ、その年の収穫物を天照大御神が祀られている神宮に祀り、恵みに感謝をするものです。
一方の新嘗祭は、642~645年に始まったとされ、その年の収穫物を天照大御神を始め天神地祇(全ての神々)にお供えし、恵みに感謝すると同時に、これを神様からの賜り物として天皇も食すものです。
神嘗祭では天皇は初穂をお供えするのみですが、新嘗祭では神に捧げて感謝をし、自らもその収穫物を口にします。
昔の人はこの儀式に倣い、新米は天皇が口をつけるまでは食べなかったと言われています。
神嘗祭と新嘗祭の行われる時期
神嘗祭は10月15日です。
太陰太陽暦が採用されていた明治5年までは、9月17日に行われていましたが、太陽暦が採用されてからは一ヵ月遅れの10月15日の興玉神祭から始まり、由貴朝大御饌、由貴夕大御饌が行われます。
大御饌とは立派な食事という意味です。
これに対し新嘗祭は、毎年11月23日となっています。
新嘗祭も太陰太陽暦では、11月の二の卯(う)の日に行われていたのですが、改暦後にそれだと翌年の1月になってしまうことから、その年の二の卯の日が11月23日だったため、この日に固定されました。
行われる場所
神嘗祭は伊勢神宮で行われます。
午後10時頃、午前2時頃の由貴夕大御饌、由貴朝大御饌を始め、正午には天皇陛下が遣われた勅使が幣帛(神前の供物)を奉納する奉幣(ほうへい)などが行われます。
伊勢神宮では一年で1,500回もの祭祀が行われていますが、神嘗祭はその中でも最も重要なお祭りとされています。
一般の方の見学も可能となっていますが、参拝時間が午前10時~午後5時となっているので、由貴朝大御饌、由貴夕大御饌は時間的に見ることができません。
奉幣の儀はタイミングが合えば見ることができますが、邪魔にならないようくれぐれも十分な配慮が必要となります。
一方の新嘗祭は、皇居吹上御所の宮中三殿近くにある神嘉殿にて行われます。
新嘗祭の一般見学は行っていないようですが、大嘗祭終了後、大嘗宮の見学ツアーが行われたそうです。
神嘗祭と新嘗祭の時期がずれた理由
神嘗祭と新嘗祭は、太陰太陽暦の時はそれぞれ9月17日、11月23日に行われていました。
しかし、明治5年の改暦によって太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリオ暦)へと変更されると、そのままの日付では季節感にズレが生じてしまうことになります。
太陰太陽暦と太陽暦の違いを簡単に説明すると、太陰太陽暦では主に月の満ち欠けによって日付が決まるため、一年は355日となります。
これに対し太陽暦は太陽の運行によって日付が決まり、一年は365日となります。
太陰太陽暦は太陽暦よりも一年が10日ほど短いため、3年過ぎると30日(約一ヵ月)の季節感のズレが生まれてしまうというわけです。
そのため、太陰太陽暦では数年ごとに閏月(一年を13ヶ月)を入れることでこのズレを修正していたので、太陰太陽暦をそのまま太陽暦へと日付を移動させても、やはり季節感にズレがでてしまうのです。
そこで、改暦に伴い日本の多くの行事は、「月遅れ」という方法をとりました。
神嘗祭は収穫祭ですが、太陰太陽暦のままの9月17日に行おうとすると、稲の生育が不十分だったことから、月遅れを採用して一ヵ月日付を後にしたそうです。
お盆もこれと同じく、太陰太陽暦では7月15日に行われていましたが、現在では月遅れの8月15日に行う地域が多いですよね。
なお、新嘗祭においては日付を変更してしまうと、行事が翌年へと持ち越されてしまうため(太陰太陽暦と太陽暦では一ヵ月~一ヵ月半ほどの日付のズレがあります)、あえて日付は動かさずにそのままの11月23日に行うことになったそうです。
新嘗祭と勤労感謝の日との関係
11月23日と言えば、現在では「勤労感謝の日」として、国民の祝日の一日であるという認識されている方が多いと思います。
上記で触れた通り、新嘗祭は元は11月の二の卯の日に行われていたため、日付はその時によって違いましたが、祭日としてその日はお休みとなっていました。
明治5年の改暦後には11月23日に固定されましたが、祭日は継続しており、11月23日は新嘗祭のために国民はお休みとなっていたのです。
ところが、第二次世界大戦後にGHQ(連合国軍総司令部)によって、国家神道(狂信的な神国思想、天皇崇拝と捉えられるもの)の色が濃い新嘗祭を排除しようとする動きが高まりました。
その際、11月23日は新嘗祭という祭日から、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」を主旨とした勤労感謝の日へと名称を変更したと言われています。
勤労感謝の日の主旨を知って、「生産を祝い」という部分に引っ掛かりを感じた方も多いと思いますが、由来が収穫祭である新嘗祭だとわかるとその謎が解けるのではないでしょうか。
ぜひ今年から勤労感謝の日は働く方々への感謝だけではなく、日本人にとって欠かせない食物であるお米の実りへの感謝の気持ちを持ってみてはいかがでしょうか。
大嘗祭との違いは?
神嘗祭、新嘗祭に似た宮中祭祀に「大嘗祭(だいじょうさい)」があります。
大嘗祭は、天皇が即位後に初めて執り行う新嘗祭のことを言うため、内容は新嘗祭と変わりません。
しかし、日付や場所が違います。
新嘗祭は皇居内の宮中三殿の近くにある神嘉殿で行われますが、大嘗祭は「大嘗宮(だいじょうきゅう)」という仮設の場所が作られてそこで行われます。
大嘗宮が作られる場所は毎回異なりますが、今上天皇(令和天皇)の大嘗宮は皇居内の東御苑に作られました。
大嘗宮は大嘗祭が終わるとすぐに取り壊されてしまうため、現在はもう残っていません。
また、日程ですが、新嘗祭が毎年11月23日と固定されているのに対し、大嘗祭は旧暦(太陰太陽暦)を引き継いで11月の二の卯の日に行います。
まとめ
平成から令和へと時代が変わり、新天皇即位に伴って行われた大嘗祭では、11月の二の卯の日に執り行われました。
なお、上皇天皇(平成天皇)の場合は、大嘗祭の日程となる11月の二の卯の日がちょうど勤労感謝の日(11月23日)と重なったため、その日は祝日となりましたが、大嘗祭は国民の祝日ではないので、今上天皇の時は平日となりました。
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