日本ではなぜ、蛍の光を大晦日に歌うのか?
「蛍の光」という名前の曲を耳にしたことがある方は多いでしょう。
この曲は、多くの場面で流れることがあり、特にお店の閉店時や学校の卒業式などのシーンでよく耳にすることができます。
このような状況での使用から、多くの人々はこの曲を「別れ」や「終わり」を象徴するものとして捉えています。
実は、「蛍の光」は日本の文化だけでなく、海外の文化にも深く根付いています。
日本では年の瀬、特に大晦日にこの曲を歌う習慣がありますが、一方で海外では新年を迎えた直後に歌われることが多いのです。
この違いは、歌詞の背後に隠された意味や、それぞれの国や地域の文化的背景に起因しています。
この曲の歌詞は、時の流れや人生の移り変わりを感じさせるものであり、それぞれのリスナーに異なる感情や思い出を呼び起こすことができます。
今回は、この「蛍の光」の深い背景や歌詞の意味、そしてそれがどのようにして多くの人々の心に響くのかを詳しく探ってみたいと思います。
蛍の光を大晦日に歌うのはなぜ?
「蛍の光」を大晦日に歌うの習慣は、日本の文化と映画の歴史から生まれたものです。
この風習は、大晦日の「NHK紅白歌合戦」の最後に全員で歌われる特別な瞬間で、その背後には興味深い背景があります。
この習慣のルーツは、昭和24年(1949年)に公開された映画「哀愁」にさかのぼります。
この映画は、大尉と踊り子の悲恋を描いた作品で、その中で「蛍の光」に非常に似た「別れのワルツ」という曲が使用されました。
この曲は、四拍子の「蛍の光」を三拍子に編曲したものでしたが、映画と共に多くの人々に深い印象を与えました。
「哀愁」の中で、ロバート・バーンズという場所で閉店時間になると「別れのワルツ」が流れ、大尉と踊り子は戦争のために別れることになり、美しいダンスを踊ります。
明かりがひとつずつ消され、暗くなったダンスホールでのこのシーンは映画史に名を刻みました。
この曲は、「別れ」の瞬間や終了の合図として、お店の閉店時や閉館時間、フェリーの出港時などに広く使用されました。
実際には、我々が「蛍の光」として知っている曲は、実際には「別れのワルツ」なのです。
この曲は、「別れ」と「終わり」の感情を想起させる歌詞が1、2番に含まれており、このために大晦日のような年の終わりにふさわしい歌として定着しました。
要するに、大晦日に「蛍の光」を歌う習慣は、「蛍の光」が卒業式で歌われる曲であること、そして「別れのワルツ」が「別れ」や「終わり」をテーマにした曲であることから、年の終わりを象徴し、感慨深い瞬間を演出するために受け継がれているのです。


海外ではなぜ、新年に蛍の光を歌うのか?
海外の文化において、新年の祝賀の際に「蛍の光」が歌われる背景には、深い歴史と意味が込められています。
この曲は、多くの英語圏の国々で、結婚式や誕生日、クリスマスといった特別な日に歌われる伝統があります。
新年のカウントダウンが終わり、新しい年を迎える瞬間に、人々は一斉にこの曲を歌い、新しい年の訪れを祝います。
「蛍の光」のメロディは、実はスコットランドの古い民謡から来ています。
この原曲の歌詞は、過ぎ去った日々を懐かしみながら、親しい友人たちと楽しく酒を楽しむ内容となっています。
一方、日本のバージョンは、少し哀愁を帯びた雰囲気が特徴です。
この曲が、英語圏と日本で異なる感情を持って歌われているのは、文化や歴史の背景によるものです。
英語圏では、この曲は楽しさや祝賀の気持ちを伝えるものとして受け入れられています。
一方、日本では、少し寂しさや切なさを感じさせる歌詞として親しまれています。
このような違いが生まれた背景や理由について、詳しく知ることで、この曲の魅力をより深く理解することができるでしょう。
そもそも「蛍の光」とは?
「蛍の光」という楽曲は、日本に明治時代に導入された、そのルーツにはスコットランドからの影響があります。
この楽曲は、アメリカを経由して日本に伝わり、1881年に「小学唱歌集初編」に収録されました。
この歌の作詞者は稲垣千穎(いながきちかい)という国学者、歌人、教育者で、彼が新しく歌詞を作成し、タイトルも「蛍の光」に変更されました。
元々の歌詞には「友情の杯を飲み干そう」という内容が含まれていましたが、教育的な観点から見直され、稲垣千穎が新たな歌詞を提供しました。
歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」は、「蛍雪の功(けいせつのこう)」という言葉に由来しています。
この表現は苦労して勉強に励むことを指し、中国の故事から取られています。
中国の晋(しん)時代(265年~420年)に、官僚を志望した「車胤(しゃいん)」と「孫康(そんこう)」という若者が登場します。
彼らは貧しい家庭から出身し、夜間に勉強をするための照明用の油を買うことができませんでした。
車胤は夏の夜に蛍を捕まえ、その光で本を読み、勉強を続けました。
一方、孫康は冬の夜に窓辺に積もった雪を使って本を読み、自己教育を続けました。
彼らの不屈の努力が報われ、最終的には高級官僚に昇進したという故事から、「蛍の光」の歌詞の冒頭がインスパイアされたと言われています。
この歌は日本の教育文化において、勉学と努力の美徳を称える象徴的な存在となっています。
実は、「蛍の光」の原曲はスコットランドの民謡
スコットランドの民謡「蛍の光(Auld Lang Syne)」は、美しい背景を持つ楽曲です。
この歌は、遥か昔、スコットランドの風景が変わることなく続いていた時代に生まれました。
その源流は、国民的詩人「ロバート・バーンズ」によって1788年に詠まれたものです。
そして、彼の死後、彼の友人であるジェームズ・ジョンストンがこの詩にメロディをつけ、「蛍の光」が誕生しました。
この歌の魅力は、その歌詞に宿る感慨深さにあります。
日本語に訳すと「久しき昔」や「懐かしいあのころ」という意味を持ち、過去の友情や思い出を称賛するものとなっています。
バーンズは、自身が体験した友情と過去の日々からインスパイアを受け、この詩を綴ったのです。
歌詞には、友達との再会や過去を振り返りながら、感情を共有し、一杯の酒を交わす場面が描かれています。
この歌は、スコットランドの文化において準国歌として位置づけられ、結婚式や新年の祝い事など、節目の瞬間に歌われます。
大勢の人々が集まり、手を繋いで輪になり、手を前後に振りながら歌う光景は、友情と過去の尊さを祝う象徴となっています。
「蛍の光」という美しいメロディと歌詞は、スコットランドの風景や文化、そして人々の心に刻まれた思い出と結びついています。
この歌は、世界中で広く愛され、その美しさと感動的なメッセージは、今日でも私たちの心に響き続けています。
「蛍の光」の歌詞とその意味は?
「蛍の光」の歌詞は以下のとおりです。
1番
蛍の光 窓の雪
書読む(ふみよむ)月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝(けさ)は 別れ行く
2番
止まるも行くも 限りとて
互に(かたみに)思ふ 千万の(ちよろずの)
心の端を(はしを) 一言に
幸くと許り(さきくとばかり) 歌ふなり
3番
筑紫の(つくしの)極み 陸の(みちの)奥
海山遠く 隔つ(へだつ)とも
その真心は 隔て無く
一つに尽くせ 国の為
4番
千島の(ちしまの)奥も 沖繩も
八洲の(やしまの)内の 護り(まもり)なり
至らん国に 勲しく(いさおしく)
努めよ我が兄(せ) 恙無く(つつがなく)」
蛍の光の歌詞の意味
1番
夜の静寂に浮かぶ蛍の灯りや、夜空を照らす月明かりの下で、多くの時間を過ごしてきた。気がつけば、時は流れ、今日は木製の扉を開け、友人たちとの別れを迎える。
2番
故郷にとどまる者、旅立つ者、今日が最後の日となる。深い絆と数え切れないほどの思い出を胸に、心から「安全な旅を」と願う。
3番
九州の果て、東北の深い森の中でも、遠く離れていても、その熱い心は変わらず、全力で努力し、国のために尽くそう。
4番
千島列島の深部、沖縄の美しい海でも、日本の守護として、果敢に挑戦し、力を出し切ろう。安全を祈る。
「蛍の光」は、多くの人々に親しまれている歌で、特に1番と2番がよく知られています。
この歌は、友人やクラスメイトとの別れをテーマにしています。
3番と4番の歌詞は、国のために遠く離れた場所での役割を果たすことを強調しており、その背景には明治時代の富国強兵の思想が影響していると言われています。
この時代には、子どもたちにも国のための献身を求める内容が歌詞に盛り込まれていました。
しかし、戦後の時代には、軍国主義や戦争を連想させる3番と4番は歌われることが少なくなりました。
「蛍の光」が卒業式で歌われるようになったのは、明治時代の中期で、初めて歌われたのは東京女子師範学校の卒業式でした。
その後、この歌は卒業式の定番となり、海軍の学校でも歌われるようになりました。
なぜ蛍の光を大晦日に歌うのか?のまとめ
「蛍の光」を大晦日に歌う理由は、日本の文化や習慣に深く根ざしています。
この曲はもともとスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」から派生したもので、歌詞は時の流れや人生の移り変わりを感じさせる内容となっています。
日本では、年の終わりを迎える大晦日に、過ぎ去った一年を振り返りながら新しい年を迎える準備をするという意味合いで「蛍の光」が歌われることが多いです。
この曲が持つ「別れ」や「終わり」のイメージは、年の終わりを感じさせる大晦日にふさわしく、多くの日本人にとってはこの時期に歌うのが伝統となっています。
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