蛍の光と聞くと、多くの方が大晦日の風情を思い浮かべることでしょう。
この心温まるメロディは、なぜ年の瀬に歌われるのでしょうか?
実は、この曲にはスコットランドの民謡が原曲として存在し、日本独自の歌詞が加わっています。
この記事では、「蛍の光」の背景にある歴史や文化、そしてその歌詞の深い意味を掘り下げます。
大晦日にこの曲が歌われる理由や、その魅力についても詳しく解説していきます。
読者の皆様には、この曲が持つ特別な感動を再発見していただけることでしょう。
- 「蛍の光」がスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」から来たこと
- 日本での歌詞の意味と、それがどのように時の流れや別れを象徴しているか
- 大晦日にこの曲が歌われる文化的な背景とその意味
- 映画「哀愁」での「別れのワルツ」と「蛍の光」の関連性
- 海外で新年に歌われる際の文化的な違いとその理由
蛍の光の原曲はスコットランド民謡
蛍の光、その美しい旋律は、遠くスコットランドの地から私たちの耳に届いています。
この楽曲は、ただの民謡ではなく、深い歴史と文化的な背景を持つ作品です。
元々は「Auld Lang Syne」というタイトルで、スコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズによって1788年に詠まれました。
バーンズは、自身の体験とスコットランドの風土からインスピレーションを受け、この詩を紡ぎ出しました。
この歌の魅力は、その歌詞に宿る感慨深さにあります。
日本語に訳すと「久しき昔」や「懐かしいあのころ」といった意味合いを持ち、過去の友情や思い出を称賛する内容となっています。
歌詞の中には、友達との再会や過去を振り返りながら、感情を共有し、一杯の酒を交わす場面が描かれています。
これは、人々が過去を振り返り、共に過ごした時間の価値を讃えるスコットランドの文化を反映しています。
「蛍の光」は、スコットランドでは準国歌としての地位を確立しており、結婚式や新年の祝い事など、人生の大切な節目に歌われることが多いです。
特に新年を迎える瞬間には、大勢の人々が手を繋ぎ、輪になってこの歌を歌うのが一般的です。
この習慣は、友情と過去の尊さを祝う象徴として、スコットランドの人々にとって大切な意味を持っています。
この歌は、スコットランドの風景や文化、そして人々の心に刻まれた思い出と深く結びついています。
その美しいメロディと歌詞は、世界中で愛され、多くの人々に感動を与え続けています。
日本でも、卒業式や別れの場面でよく歌われることから、私たちにとっても特別な楽曲となっています。
そのメロディは、時を超え、国境を越えて、今もなお私たちの心に響き続けています。
蛍の光の歌詞とその意味は?
「蛍の光」の歌詞は以下のとおりです。
1番
蛍の光 窓の雪
書読む(ふみよむ)月日 重ねつつ
何時(いつ)しか年も すぎの戸を
開けてぞ今朝(けさ)は 別れ行く
2番
止まるも行くも 限りとて
互に(かたみに)思ふ 千万の(ちよろずの)
心の端を(はしを) 一言に
幸くと許り(さきくとばかり) 歌ふなり
3番
筑紫の(つくしの)極み 陸の(みちの)奥
海山遠く 隔つ(へだつ)とも
その真心は 隔て無く
一つに尽くせ 国の為
4番
千島の(ちしまの)奥も 沖繩も
八洲の(やしまの)内の 護り(まもり)なり
至らん国に 勲しく(いさおしく)
努めよ我が兄(せ) 恙無く(つつがなく)」
蛍の光の歌詞の意味
1番
夜の静寂に浮かぶ蛍の灯りや、夜空を照らす月明かりの下で、多くの時間を過ごしてきた。気がつけば、時は流れ、今日は木製の扉を開け、友人たちとの別れを迎える。
2番
故郷にとどまる者、旅立つ者、今日が最後の日となる。深い絆と数え切れないほどの思い出を胸に、心から「安全な旅を」と願う。
3番
九州の果て、東北の深い森の中でも、遠く離れていても、その熱い心は変わらず、全力で努力し、国のために尽くそう。
4番
千島列島の深部、沖縄の美しい海でも、日本の守護として、果敢に挑戦し、力を出し切ろう。安全を祈る。
「蛍の光」は、多くの人々に親しまれている歌で、特に1番と2番がよく知られています。
この歌は、友人やクラスメイトとの別れをテーマにしています。
3番と4番の歌詞は、国のために遠く離れた場所での役割を果たすことを強調しており、その背景には明治時代の富国強兵の思想が影響していると言われています。
この時代には、子どもたちにも国のための献身を求める内容が歌詞に盛り込まれていました。
しかし、戦後の時代には、軍国主義や戦争を連想させる3番と4番は歌われることが少なくなりました。
「蛍の光」が卒業式で歌われるようになったのは、明治時代の中期で、初めて歌われたのは東京女子師範学校の卒業式でした。
その後、この歌は卒業式の定番となり、海軍の学校でも歌われるようになりました。
蛍の光を大晦日に歌う理由
「蛍の光」を大晦日に歌うの習慣は、日本の文化と映画の歴史から生まれたものです。
この風習は、大晦日の「NHK紅白歌合戦」の最後に全員で歌われる特別な瞬間で、その背後には興味深い背景があります。
この習慣のルーツは、昭和24年(1949年)に公開された映画「哀愁」にさかのぼります。
この映画は、大尉と踊り子の悲恋を描いた作品で、その中で「蛍の光」に非常に似た「別れのワルツ」という曲が使用されました。
この曲は、四拍子の「蛍の光」を三拍子に編曲したものでしたが、映画と共に多くの人々に深い印象を与えました。
「哀愁」の中で、ロバート・バーンズという場所で閉店時間になると「別れのワルツ」が流れ、大尉と踊り子は戦争のために別れることになり、美しいダンスを踊ります。
明かりがひとつずつ消され、暗くなったダンスホールでのこのシーンは映画史に名を刻みました。
この曲は、「別れ」の瞬間や終了の合図として、お店の閉店時や閉館時間、フェリーの出港時などに広く使用されました。
実際には、我々が「蛍の光」として知っている曲は、実際には「別れのワルツ」なのです。
この曲は、「別れ」と「終わり」の感情を想起させる歌詞が1、2番に含まれており、このために大晦日のような年の終わりにふさわしい歌として定着しました。
要するに、大晦日に「蛍の光」を歌う習慣は、「蛍の光」が卒業式で歌われる曲であること、そして「別れのワルツ」が「別れ」や「終わり」をテーマにした曲であることから、年の終わりを象徴し、感慨深い瞬間を演出するために受け継がれているのです。
海外ではなぜ、新年に蛍の光を歌うのか?
海外の文化において、新年の祝賀の際に「蛍の光」が歌われる背景には、深い歴史と意味が込められています。
この曲は、多くの英語圏の国々で、結婚式や誕生日、クリスマスといった特別な日に歌われる伝統があります。
新年のカウントダウンが終わり、新しい年を迎える瞬間に、人々は一斉にこの曲を歌い、新しい年の訪れを祝います。
「蛍の光」のメロディは、実はスコットランドの古い民謡から来ています。
この原曲の歌詞は、過ぎ去った日々を懐かしみながら、親しい友人たちと楽しく酒を楽しむ内容となっています。
一方、日本のバージョンは、少し哀愁を帯びた雰囲気が特徴です。
この曲が、英語圏と日本で異なる感情を持って歌われているのは、文化や歴史の背景によるものです。
英語圏では、この曲は楽しさや祝賀の気持ちを伝えるものとして受け入れられています。
一方、日本では、少し寂しさや切なさを感じさせる歌詞として親しまれています。
このような違いが生まれた背景や理由について、詳しく知ることで、この曲の魅力をより深く理解することができるでしょう。
そもそも「蛍の光」とは?
「蛍の光」という楽曲は、日本に明治時代に導入された、そのルーツにはスコットランドからの影響があります。
この楽曲は、アメリカを経由して日本に伝わり、1881年に「小学唱歌集初編」に収録されました。
この歌の作詞者は稲垣千穎(いながきちかい)という国学者、歌人、教育者で、彼が新しく歌詞を作成し、タイトルも「蛍の光」に変更されました。
元々の歌詞には「友情の杯を飲み干そう」という内容が含まれていましたが、教育的な観点から見直され、稲垣千穎が新たな歌詞を提供しました。
歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」は、「蛍雪の功(けいせつのこう)」という言葉に由来しています。
この表現は苦労して勉強に励むことを指し、中国の故事から取られています。
中国の晋(しん)時代(265年~420年)に、官僚を志望した「車胤(しゃいん)」と「孫康(そんこう)」という若者が登場します。
彼らは貧しい家庭から出身し、夜間に勉強をするための照明用の油を買うことができませんでした。
車胤は夏の夜に蛍を捕まえ、その光で本を読み、勉強を続けました。
一方、孫康は冬の夜に窓辺に積もった雪を使って本を読み、自己教育を続けました。
彼らの不屈の努力が報われ、最終的には高級官僚に昇進したという故事から、「蛍の光」の歌詞の冒頭がインスパイアされたと言われています。
この歌は日本の教育文化において、勉学と努力の美徳を称える象徴的な存在となっています。
蛍の光を大晦日に歌う理由のまとめ
「蛍の光」は、日本の大晦日の風習として親しまれている曲です。
この美しいメロディは、もともとスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」から来ており、日本では明治時代に導入されました。
歌詞は、時の流れや人生の移り変わりを象徴し、特に大晦日には、過ぎ去った一年を振り返り、新しい年を迎える準備の意味合いで歌われます。
この曲が持つ「別れ」や「終わり」のイメージは、年の終わりにふさわしく、多くの日本人にとって大切な伝統となっています。
この記事のポイントをまとめますと
- 「蛍の光」は日本の大晦日に歌われる伝統的な曲
- 元々はスコットランドの民謡「オールド・ラング・サイン」が原曲
- ロバート・バーンズが1788年に詠んだ詩が基になっている
- 日本語の歌詞は「別れ」や「終わり」を象徴する内容
- 明治時代に日本に導入され、教育的な背景も持つ
- 1番と2番の歌詞は友人との別れをテーマにしている
- 3番と4番の歌詞は国のために尽くす内容
- 戦後、3番と4番はあまり歌われなくなった
- 映画「哀愁」で使用された「別れのワルツ」が「蛍の光」と混同されることも
- 大晦日に歌う習慣は、年の終わりを象徴するため
- 海外では新年を迎える際に歌われることが多い
- 歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」は中国の故事「蛍雪の功」に由来
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