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七夕伝説の始まりが面白い!日本と世界の七夕物語の違い!

日本と世界の七夕伝説!

七夕と言えば、笹の葉に願いごとを書いた短冊を飾るイベントというのが一般的ではないでしょうか。

また、年に一度だけしか会えない織姫と彦星の日、ということもあってロマンチックな日=恋人達の日、という認識も近年はあるような気がします。

しかし、今から20~30年前までは、家や町内会での七夕にちなんだイベントをよく見掛けていましたが、最近は笹や竹を飾る場所がないことや、飾り終わった後の処分に困ることから、各家ごとに七夕の飾りをしているのは見掛けないようになりました。

それに比例するように、自治体や学校、幼稚園などでは大々的に七夕のイベントを行っているのが増えているような気がします。

このように時代の移り変わりと共に、七夕のイベントは形を変えているようですが、そもそも七夕とはどのような由来か知っているでしょうか。

天の川に隔たれた織姫と彦星が、年に一度だけ会える日でしょ?と思うかも知れませんが、実は本来の七夕の話というのは少し違います。

また、七夕は日本だけの行事と思われがちですが、発祥は日本以外と言われ、世界の他の国でも七夕行事が行われているところもあります。

このように、一見知っているようでも以外と知らないのが七夕の真実。

そこで今回は、七夕について詳しく調べてみました。

七夕伝説の始まりが面白い!

七夕の発祥は中国と言われており、天の川の西に住む織物が得意な織女と、東に住む牛飼いの牽牛という夫婦の話が元となっています。

織女(しょくじょ)の結婚相手を探していた天帝(星空を支配する神)が、働き者の牽牛(けんぎゅう)のことを知り「娘の織女と結婚してくれないか?」と頼みました。

牽牛は恐縮しながらもその話を引き受け、2人は夫婦となりました。

しかし、2人は結婚すると真面目に働くどころか天の川のほとりでおしゃべりばかりをしています。

天帝が「仕事をしないのか?」と尋ねると、「明日からやります」と答えるばかりで一向に働く気配がありません。

これに業を煮やした天帝は、牽牛を元いた天の川の西に戻し、2人を離ればなれにしてしまいました。

牽牛と会えなくなった織女は毎日を泣いて暮らしました。

そして牽牛も寂しさにあまり家に閉じこもってしまい牛の世話ができなくなってしまいました。

それを見た天帝は「2人が以前のようにきちんと働いてくれるなら、年に一度だけ会うのを許そう」と言い、それを聞いた2人は前よりも増して一生懸命働くようになりました。

こうして、一年にたった一度だけ会える日の7月7日は、織女と牽牛にとって待ち焦がれた日となったのです。

日本の七夕伝説はどういう内容なの?

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ある日、3人の娘を持つ男のところに大蛇が現れ「娘をよこさないと親子共々殺してしまう」と言われました。

困った男は娘に話をしますが、上の2人は絶対に嫌だとすぐに断ったものの末娘だけは「お父さんとお母さんが殺されるわけにはいかない」と大蛇のところへ行くと言いました。

池の傍に小屋を立て、そこに末娘を残して両親と2人の姉達が泣く泣くその場を離れると、雷鳴と共に池の中から大蛇が現れました。

しかし大蛇は末娘に「怖がることはない。刀で私の頭を切りなさい」と言いました。

娘が言われた通りにすると大蛇の中からは立派な若者が現れ、自分は「天稚彦(あめのわかひこ)」だと名乗りました。

天稚彦とは日本神話に登場する神のことで、娘は天稚彦と結婚し幸せな日を過ごしていましたが、ある日、天稚彦から「用事があり天へ行ってくる。三週間経っても帰ってこなかったら西の京の外れに住んでいる女性から一夜杓を受け取って天に来なさい」と言われました。

その際、唐びつを受け取り、「私が戻って来るまで決して開けないように」と言われました。

天稚彦が天に向かった後、上の2人の姉が末娘の元を訪ね、幸せそうな様子に嫉妬しながら家の中の物を勝手に見始めました。

その時に、天稚彦から絶対に中を覗くなと言われていた唐びつも開けてしまいました。

そして三週間経っても天稚彦が戻ってこないことから、娘は西の京の外れの女性の元を訪ね一夜杓を貰って天に向かいました。

天に登った娘は、ゆうづつやほうき星や昴に天稚彦の行く先を尋ねながら、どうにか天稚彦に会うことができました。

再び出会えたことで以前にも増して固く心が結ばれた2人でしたが、実は天稚彦の父は鬼で、娘との結婚を許すはずがないことから、父がやってくるたび娘の姿を枕や扇に変えて父にわからないようにしていました。

しかし、うたた寝をしているところに父がやってきてしまい、ついに娘の存在がバレてしまったのです。

激怒した父は娘に無理難題を突き付け、天稚彦と引き離そうとしますが天稚彦から譲り受けた袖を振ると、その難題が次々に解決していきます。

やがて娘を認めざるを得なくなった父は、「月に一度なら会ってもよい」と折れたのですが、娘はそれを「年に一度」と聞き間違えてしまい、娘の聞き間違いを正さないまま父は手にしていた瓜を投げつけ、その瓜が割れたところから水が溢れ出し、天の川を作りました。

以後、娘と天稚彦は7月7日のたった1日だけ会うことを許されたのです。

その他の世界の七夕伝説はどういう内容なの?

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実は、七夕のお話は日本だけのものではなく、世界各国に独自のものがあると言われています。今回はその中でも、3つの国の七夕伝説をご紹介したいと思います。

フィンランド編

生前、とても仲良しだった夫婦がそれぞれ亡くなった後、星となったのですが2人の星は遠くに離れてしまいました。

しかし、星になってからもお互いが傍にいたいという想いから、それぞれに近くに散らばっている星屑を集めて、2人の星の間に橋を作ろうと思い立ったのです。

毎日毎日一生懸命に星屑を集めた2人の願いは、実に千年後に叶えられました。2人の間には立派な橋ができ、遠くにいても行き来ができるようになったのです。

そして、その橋こそが七夕の夜に瞬く天の川だと言い伝えられています。

ギリシャ編

琴の演奏が上手な青年はある日、妖精の少女と出会い恋に落ちました。

いつまでも幸せな日が続くと思っていたのも束の間、妖精の少女は毒蛇に噛まれて死んでしまい、嘆き悲しんだ青年は天国にいる大王に少女を生き返らせてもらうように頼みに行くことにしました。

行く手には様々な困難が待ち受けていましたが、青年が持っていた琴の音色がそれを手助けしてくれ、ついに青年は大王に「一度だけ少女を生き返らせてもらう」約束を取り付けたのです。

しかし大王は言いました。

「地上に戻るまでは絶対に振り返ってはいけない」この約束が守れなければ少女はまた天国へと舞い戻ってしまうだろう、と。

青年は絶対に振り返らないと約束しましたが、もう少しで地上に着くところで嬉しさから一度だけ振り返ってしまったのです。

すると少女はあっという間に天国へと連れ戻されてしまいました。

そして、深い悲しみに暮れた青年が野山をさまよっている時、酒に酔った女達に琴を弾けと頼まれるも、それを断ったがゆえに殺されてしまいました。

それを知った神様が、青年の持っていた琴を夜空に放ち、琴座を作りました。

中国編

その昔、天上には「天衣」と呼ばれる天地を自由に行き来できる衣を織ることができる天女の姉妹が住んでいました。

ある日、その天衣を着て地上で水遊びをしていた天女の一人が、若者の男に天衣を隠されてしまったため天上に帰れず、その男と結婚することになったのです。

一方その男は、年老いた牛と共にひっそりと暮らしていましたが、天女と結婚したことにより子供にも恵まれ、幸せな暮らしを手に入れました。

しかし、いつまでも天女が帰ってこないことに激怒した天上の上帝が、天女を連れ戻してしまったのです。

母親がいなくなって泣きじゃくる子供を見た年老いた牛は「私を殺して皮を剥ぎなさい。その皮を着れば天上に行くことができる」と若者に言いました。

若者はそれはできないと断りましたが、年老いた牛は自ら頭を打ち付け死んでしまいました。

そして牛の皮を着た若者と子供は天上へと登っていきました。やっとのことで天女を見つけた時、空から大きな手が伸びてきて2人の間に線を引きました。

その線からはどんどんと水が溢れ出し、若者と天女の距離はあっという間に広がって川となってしまったのです。

それを見た子供は「ひしゃくで水をすくおう」と言い、若者と共に空に架かる川の水をすくい始めたのです。

それを見た上帝は若者の天女に対する愛情と子供の母を慕う気持ちに感動し、「毎年7月7日だけ、家族で会うのを許そう」と言ったそうです。

まとめ

実は、今回ご紹介した日本の七夕伝説以外にも、いくつも七夕のお話というのは存在しています。

各地方によって、少しずつ内容や結末が違いますので、この機会から是非色々な七夕にまつわるお話を読んでみてはいかがでしょうか。

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