七夕の節句とは?2024年はいつ?食べ物や風習は?

七夕の節句

七夕の節句の意味と食べ物など行事食や風習と笹に短冊を飾る理由は?

七夕と言えば、短冊や折り紙などで作った飾りを竹笹に結びつけ、願い事をする風習が全国各地で行われますよね。

子どもの時から馴染みのある行事のため、いつから始まったのかなど、あまり考えたことがないという方も多いかも知れませんが、七夕は「七夕(しちせき)の節句」と言う宮中行事が由来となっています。

ではなぜ、宮中行事が庶民に親しまれる風習に変わっていったのでしょうか。

そもそも、七夕(しちせき)の節句とは一体どのような行事なのでしょうか。

そこで今回は、七夕の節句について調べてみました。

目次

七夕の節句とは?


七夕(しちせき)の節句とは、中国の乞巧奠(きこうでん)という行事に、日本古来より伝わる棚機津女(たなばたつめ)の風習が結び付いたものと言われています。

乞巧奠は陰暦7月7日に行われていた中国の行事です。

7月7日と言えば、織姫と彦星が一年に一度、天の川で会うお話が有名ですが、これも元は中国から伝わったものです。

中国では彦星は農業の星、織姫は養蚕や針仕事の星とされており、織姫に倣って裁縫や手芸が上達するように願う行事である乞巧奠が行われていました。

これが日本にも伝わり、奈良時代には宮中行事として行われるようになります。

一方で、日本には7月7日に神様の着物を乙女が小屋にこもって織る「棚機(たなばた)」という行事がありました。

この棚機と乞巧奠が結び付いたものが、七夕の節句となりました。

七夕の本来の読み方は「しちせき」ですが、棚機と結びついたことで「たなばた」に変わったと言われています。

七夕の節句2024年はいつ?

七夕の節句は、2024年7月7日(金曜日)です。

七夕は毎年7月7日に行われます。

ただし、これは旧暦とそのまま新暦に当てはめたもので、今も旧暦で七夕を行っている地域ではその年によって日付が変わります。

また、旧暦の7月7日は、現在の8月頃にあたり、国立天文台では「伝統的七夕」と呼んでいます。

古い日本の風習では、旧暦の7月7日の半月の頃が七夕で、その8日後の7月15日の満月の頃が祖霊を迎えるお盆でした。

七夕はお盆の準備期間で、先祖の霊をお迎えするため心身のけがれを水で清める禊(みそぎ)の意味もありました。

明治6年以降、グレゴリオ暦が使われるようになってからは、七夕とお盆の行事としてのつながりは薄くなりましたが、現在でも、仙台の七夕まつりは8月7日を中日として華やかなお祭りが行われています。

ちなみに、旧暦7月7日を新暦に置き換えると、2024年8月22日になります。

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七夕の節句の食べ物(行事食)は?


七夕の節句の行事食はそうめんです。

そうめんが七夕の節句の行事食となった理由には、先ほどご紹介した乞巧奠が関係しています。

乞巧奠は織姫にあやかり、裁縫や手芸の上達を願って行われる宮中行事ですが、その際に裁縫や手芸に欠かせない糸に似た、「索餅(さくべい)」という麺をお供えして行事を行っていました。

そして、この索餅はそうめんの元になった食べ物と言われています。

索餅は小麦粉と米粉を混ぜ合わせて練り、縄状にして揚げた唐の時代に伝わったお菓子とされていますが、縄状にした後乾燥させて保存をし、茹でて醤油や酢などに付けて食べられていたとも言われています。

また、そうめんが七夕の節句の行事食となったのは、七夕の節句が行われるのは夏の暑い時期であることから、暑気払いのために食べやすいそうめんを食べていた説や、小麦粉の収穫に感謝をする意味で食べられていた説もあります。

七夕の節句の風習


七夕には短冊に願いを書いて笹に吊るしたり、行事食としてそうめんを食べることをご紹介しましたが、それ以外にも地域によって独特な風習があるところもあります。

例えば北海道では7月7日(もしくは8月7日)に、浴衣を着た子ども達が近所の家を回ってろうそくを集める「ろうそくもらい(またはろうそく出せ)」が行われます。

『ろーそくだーせだーせーよー だーさないとひっかくぞー おまけにかっちゃくぞー』(歌詞は地域によって異なります)と歌いながら玄関から入り、歌い終わると家の人からろうそく、またはお菓子をもらうという行事です。

夕方から夜にかけてくまなく回ると、袋いっぱいにお菓子をもらうことができます。

そのため、北海道では七夕が近くなると小分けできるタイプの袋菓子が、大量にスーパーに並び始めます。

なお、お菓子を用意していない家では、お菓子の代わりにお小遣いとしてお金を配るところもあるようです。

この行事は青森県のねぷたまつりで行われている風習が元となっているとされ、ねぷたまつりが近くなると子ども達が照明に使用するろうそくを家を訪ね歩いて集めていたのが始まりと言われています。

笹に短冊を飾る理由


七夕に短冊を飾るのは、乞巧奠の風習からです。

養蚕や針仕事の星である織姫に倣い、裁縫や手芸が上達するようにと願いが込められたのが始まりですが、平安時代に中国から日本へと乞巧奠が伝わった当初は、短冊に願いを書くことはしていなかったようです。

それが室町時代に入ると、梶の木に短歌を括りつけるようになり、裁縫や手芸だけではなく歌や俳句の上達を願うものに変わりました。

さらに江戸時代になると、それまで宮中行事であった七夕の節句が庶民へと広く浸透し、その際に玄関前などに飾った竹笹に短冊を吊るし、学問の上達などの願い事を書くようになったと言われています。

つまり、七夕に短冊を書いて飾るのは江戸時代から始まった風習なのです。

なお、短冊を笹に吊るす理由は、笹には昔から邪気を祓う力があるとされているからです。

そのため、昔から神事の際に笹が飾られており、宮中行事での七夕の節句ではお供え物の棚の両側に笹が飾られていたと言われています。

七夕の有名な行事!七夕祭り!


七夕の時期になると日本各地で盛大なお祭りが行われますが、中でも特に有名なのが宮城県仙台市で行われる「仙台七夕まつり」です。

日本三大七夕まつりの一つに数えられ、仙台藩初代藩主・伊達政宗の時代から、400年も続く伝統行事で、おまつり期間中の観光客は毎年200万人を超えます。

仙台七夕まつりの名物と言えば、全長10mにもなる巨大な笹飾り。

動物や毬、キャラクターを模したくす玉に吹き流しがつけられ、仙台駅前や商店街アーケードなどに、5本1セットで飾られます。

また、神奈川県平塚市で行われる「湘南ひらつか七夕まつり」も、大きな七夕飾りが有名です。

昼間はパレードが、夜にはライトアップが行われ、こちらも日本三大七夕まつりに数えられる他、関東三大七夕祭りの一つとして毎年多くの観光客がやって来ます。

さらに、2010年から始まった新しい七夕のおまつりに、京都府京都市の「京の七夕」があります。

鴨川や二条城など観光地としても有名な場所に、竹笹に吊るされた短冊が飾られ、夜は各所が幻想的にライトアップなど、京都の夏の風物詩として人気となっています。

五節句との関係


七夕の節句は五節句の一つです。

五節句とは季節の変わり目に行われる神事のことを言い、神様へのお供え物や邪気祓いの行事を行い、無病息災や五穀豊穣をお祝いしていました。

五節句は中国が発祥で、そこには陰陽五行説という自然哲学が関係しています。

陰陽五行説は世の中のあらゆる物を陰と陽にとらえる陰陽説と、木、火、土、金、水の5つに分けられるという五行説が結び付いたもので、奇数は陽、偶数は陰とされます。

そして、陽の奇数が重なる日は陰が強くなると言われ、この時に邪気祓いや厄払いを行ったのが五節句です。

五節句は1月1日の元旦を別枠に考え、1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句の5つとなっています。

重陽の節句は現代ではあまり聞かれなくなりましたが、その他の人日の節句には七草粥を食べる風習が、上巳の節句はひな祭り、端午の節句は子どもの日、七夕の節句は七夕として今も受け継がれています。

七夕の節句のまとめ

七夕(しちせき)の節句は、毎年7~8月にかけて全国各地で行われている七夕(たなばた)の元となった節句です。

節句とは季節の変わり目に行う重要な神事で、七夕の節句は7月7日の夕方に行われることから七夕の節句と呼ばれていました。

七夕には短冊に願い事を書いたものや飾りを笹に吊す「笹飾り」が行われますが、行事食としてそうめんを食べるのが昔からの風習となっています。

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