七夕の節句とは?由来から風習・行事食まで徹底解説

七夕の節句とは

七夕の節句とは?と聞かれて、なんとなく知っているつもりでも、実は詳しくは分からないという方も多いのではないでしょうか。どうして短冊を飾るのか、なぜそうめんを食べるのかなど、素朴な疑問はたくさんありますよね。この記事では、七夕の節句の由来や風習、地域ごとの特色まで、やさしくわかりやすくご紹介します。続きを読むうちに、七夕がもっと身近に感じられるかもしれません。

この記事のポイント
  • 七夕の節句とはどんな行事で、どのような由来があるのかがわかる
  • なぜ短冊を笹に飾るのか、その意味や背景が納得できる
  • 七夕にそうめんを食べる風習の理由や起源が理解できる
  • 地域ごとの七夕の過ごし方やユニークな風習の違いが見えてくる
目次

七夕の節句とは?


七夕(しちせき)の節句とは、中国の乞巧奠(きっこうでん)という行事に、日本古来より伝わる棚機津女(たなばたつめ)の風習が結び付いたものと言われています。

乞巧奠は陰暦7月7日に行われていた中国の行事です。

7月7日と言えば、織姫と彦星が一年に一度、天の川で会うお話が有名ですが、これも元は中国から伝わったものです。

中国では彦星は農業の星、織姫は養蚕や針仕事の星とされており、織姫に倣って裁縫や手芸が上達するように願う行事である乞巧奠が行われていました。

これが日本にも伝わり、奈良時代には宮中行事として行われるようになります。

一方で、日本には7月7日に神様の着物を乙女が小屋にこもって織る「棚機(たなばた)」という行事がありました。

この棚機と乞巧奠が結び付いたものが、七夕の節句となりました。

七夕の本来の読み方は「しちせき」ですが、棚機と結びついたことで「たなばた」に変わったと言われています。

七夕の節句2025年はいつ?

七夕の節句は、2025年7月7日(月曜日)です。

七夕は毎年7月7日に行われます。

ただし、これは旧暦とそのまま新暦に当てはめたもので、今も旧暦で七夕を行っている地域ではその年によって日付が変わります。

また、旧暦の7月7日は、現在の8月頃にあたり、国立天文台では「伝統的七夕」と呼んでいます。

古い日本の風習では、旧暦の7月7日の半月の頃が七夕で、その8日後の7月15日の満月の頃が祖霊を迎えるお盆でした。

七夕はお盆の準備期間で、先祖の霊をお迎えするため心身のけがれを水で清める禊(みそぎ)の意味もありました。

明治6年以降、グレゴリオ暦が使われるようになってからは、七夕とお盆の行事としてのつながりは薄くなりましたが、現在でも、仙台の七夕まつりは8月7日を中日として華やかなお祭りが行われています。

ちなみに、旧暦7月7日を新暦に置き換えると、2025年8月29日になります。

七夕の節句に食べる行事食「そうめん」の意味と由来


七夕の日にそうめんを食べるという風習には、実は深い意味と歴史的な背景が込められています。これは単なる季節の食事ではなく、古代の信仰や風習、気候との関係が複雑に絡み合って生まれた文化なのです。

古代中国の影響から生まれた食の風習

七夕にそうめんを食べる習慣の原点は、中国から伝わった「乞巧奠(きっこうでん)」という儀式にあります。これは、織姫にあやかって、裁縫や手芸が上達するよう願う行事でした。乞巧奠では、糸を連想させる「索餅(さくべい)」という料理が供えられていました。

索餅は、小麦粉と米粉を混ぜてこね、縄のようにねじって形を作り、油で揚げたり乾燥させたりして作られたお菓子です。細長い形が糸を連想させるため、手芸の上達を願う象徴としてふさわしかったのでしょう。この索餅が、時代とともにそうめんへと変化し、日本にも伝わったと考えられています。

夏の風土と食文化の融合

七夕が行われる7月初旬は、まさに夏の盛り。気温が高くなり、食欲が落ちる時期でもあります。そんな時期に、つるりとした喉ごしで食べやすく、冷やして美味しいそうめんは、ぴったりの料理でした。こうした「暑さを和らげる食べ物」としての機能も、そうめんが七夕の食事として定着した一因です。

また、この時期はちょうど小麦の収穫が終わる頃でもあります。そのため、小麦に感謝を込める意味でも、そうめんが食卓にのぼるようになったと考えられています。農耕文化の中では、こうした季節の節目に感謝の気持ちを表すことは、ごく自然なことでした。

そうめんに込められた願いのかたち

七夕のそうめんは、単に「夏に食べやすい料理」というだけではありません。もともとの由来をたどれば、技術の上達や家族の健康、五穀豊穣といった、さまざまな願いが込められていることがわかります。

カテゴリー項目内容
行事乞巧奠(きっこうでん)裁縫・手芸の上達を祈る古代中国の宮中行事
食べ物索餅(さくべい)細長くねじった形状の小麦・米粉の伝統菓子
現代の風習そうめん涼をとり、感謝と願いを込めて七夕に食される料理

古き良き風習を、今に楽しむ

現在の七夕では、願いごとを書いた短冊を笹に飾る光景がよく見られますが、そうめんを食べるという伝統も、古代からの願いを形にしたものです。意味を知っていただくことで、ただの「夏の風物詩」ではなく、心を込めて受け継がれてきた文化の一端であることが伝わるのではないでしょうか。

食卓にそうめんを並べるその一皿には、涼しさとともに、長い時の流れと人々の祈りが込められているのです。七夕の夜には、星に願いをかけるのと同時に、古の人々に想いを馳せながら、そうめんを味わってみるのも素敵なひとときになるかもしれません。

七夕の節句にまつわる地域の風習とその背景


七夕といえば、願いごとを書いた短冊を笹の葉に結んだり、そうめんを食べたりといった風景が思い浮かびますが、実は地域によっては独自のユニークな行事も行われています。その一つが、北海道を中心とした地域に伝わる「ろうそくもらい」です。

地域色豊かな七夕行事「ろうそくもらい」

七夕の時期になると、北海道の一部地域では「ろうそく出せ」と呼ばれる子どもたちの行事が行われます。浴衣や甚平に身を包んだ子どもたちが、近所の家々を回って「ろーそくだーせ、だーせーよー」と歌いながら訪問し、ろうそくやお菓子をもらっていくというものです。現代では実際のろうそくの代わりに、お菓子が主流になっていますが、なかには小銭を渡す家庭もあるようです。

この行事は夕方から夜にかけて行われ、時間をかけてたくさんの家を回る子どもたちは、大きな袋いっぱいにお菓子を手にすることができるため、まるでハロウィンのような楽しさがあります。

歴史的背景と風習の由来

この「ろうそくもらい」の風習は、もともと青森県の「ねぷたまつり」に由来していると考えられています。かつて、子どもたちは祭りで使う照明用のろうそくを集めるために各家庭を回っていたそうです。それが北海道に伝わるなかで、次第に夏の夜の行事として定着し、七夕と結びついたと見られています。

ねぷたまつりは、旧暦の七夕を祝う行事と深い関わりがあるため、北海道の一部地域でも七夕を旧暦の8月7日に祝うケースが見られます。地域によっては、7月7日と8月7日、どちらの日を七夕とするかが異なり、それぞれの土地の風土や生活のリズムに合わせて続けられているのです。

地元に根づく文化と季節感

ろうそくもらいが近づくと、北海道のスーパーには小分けされたお菓子のパックが並び始めます。これは地域の人々がこの行事を大切にし、子どもたちの楽しみを支えている証とも言えるでしょう。また、お菓子を配る家庭も、訪ねてくる子どもたちの笑顔を楽しみにして準備をするなど、地域全体が一体感を持ってこの風習を支えています。

こうした行事は、子どもたちにとっては単なる楽しみであると同時に、地域社会とのつながりを自然に学ぶ場にもなっています。普段あまり関わりのない近所の人たちとも、この日だけは笑顔で言葉を交わすことができる貴重な機会です。

七夕の風習がもたらす心の交流

七夕の節句には、織姫と彦星の伝説や願いごとを短冊に託す文化がある一方で、地域によっては「人と人とのふれあい」を大切にする風習が今も生き続けています。ろうそくもらいのような行事は、その土地ならではの文化と季節の彩りが感じられる素敵な風習です。

こうした地域独自の七夕の祝い方を知ることで、日本各地の豊かな文化の多様性に触れることができます。そして、日常のなかで忘れがちな人とのつながりや、季節を楽しむ心を思い出させてくれる行事でもあるのです。

笹に短冊を飾る理由


七夕に短冊を飾るのは、乞巧奠の風習からです。

養蚕や針仕事の星である織姫に倣い、裁縫や手芸が上達するようにと願いが込められたのが始まりですが、平安時代に中国から日本へと乞巧奠が伝わった当初は、短冊に願いを書くことはしていなかったようです。

それが室町時代に入ると、梶の木に短歌を括りつけるようになり、裁縫や手芸だけではなく歌や俳句の上達を願うものに変わりました。

さらに江戸時代になると、それまで宮中行事であった七夕の節句が庶民へと広く浸透し、その際に玄関前などに飾った竹笹に短冊を吊るし、学問の上達などの願い事を書くようになったと言われています。

つまり、七夕に短冊を書いて飾るのは江戸時代から始まった風習なのです。

なお、短冊を笹に吊るす理由は、笹には昔から邪気を祓う力があるとされているからです。

そのため、昔から神事の際に笹が飾られており、宮中行事での七夕の節句ではお供え物の棚の両側に笹が飾られていたと言われています。

七夕の有名な行事!七夕祭り!


七夕の時期になると日本各地で盛大なお祭りが行われますが、中でも特に有名なのが宮城県仙台市で行われる「仙台七夕まつり」です。

日本三大七夕まつりの一つに数えられ、仙台藩初代藩主・伊達政宗の時代から、400年も続く伝統行事で、おまつり期間中の観光客は毎年200万人を超えます。

仙台七夕まつりの名物と言えば、全長10mにもなる巨大な笹飾り。

動物や毬、キャラクターを模したくす玉に吹き流しがつけられ、仙台駅前や商店街アーケードなどに、5本1セットで飾られます。

また、神奈川県平塚市で行われる「湘南ひらつか七夕まつり」も、大きな七夕飾りが有名です。

昼間はパレードが、夜にはライトアップが行われ、こちらも日本三大七夕まつりに数えられる他、関東三大七夕祭りの一つとして毎年多くの観光客がやって来ます。

さらに、2010年から始まった新しい七夕のおまつりに、京都府京都市の「京の七夕」があります。

鴨川や二条城など観光地としても有名な場所に、竹笹に吊るされた短冊が飾られ、夜は各所が幻想的にライトアップなど、京都の夏の風物詩として人気となっています。

五節句との関係


七夕の節句は五節句の一つです。

五節句とは季節の変わり目に行われる神事のことを言い、神様へのお供え物や邪気祓いの行事を行い、無病息災や五穀豊穣をお祝いしていました。

五節句は中国が発祥で、そこには陰陽五行説という自然哲学が関係しています。

陰陽五行説は世の中のあらゆる物を陰と陽にとらえる陰陽説と、木、火、土、金、水の5つに分けられるという五行説が結び付いたもので、奇数は陽、偶数は陰とされます。

そして、陽の奇数が重なる日は陰が強くなると言われ、この時に邪気祓いや厄払いを行ったのが五節句です。

五節句は1月1日の元旦を別枠に考え、1月7日の人日の節句、3月3日の上巳の節句、5月5日の端午の節句、7月7日の七夕の節句、9月9日の重陽の節句の5つとなっています。

重陽の節句は現代ではあまり聞かれなくなりましたが、その他の人日の節句には七草粥を食べる風習が、上巳の節句はひな祭り、端午の節句は子どもの日、七夕の節句は七夕として今も受け継がれています。

七夕の節句とは?行事の由来や風習・食文化を総合的に振り返るまとめ

  • 七夕の節句は中国の乞巧奠と日本の棚機津女の風習が融合した行事である
  • 本来の読み方は「しちせき」だが、棚機と結びつき「たなばた」と呼ばれるようになった
  • 2025年の七夕は7月7日(月)であり、旧暦に基づく伝統的七夕は8月29日にあたる
  • 七夕はもともとお盆の準備期間としての意味を持ち、水で清める禊の行事でもあった
  • そうめんを食べる風習は、中国の供え物「索餅」が由来とされている
  • 索餅は小麦粉と米粉で作られた縄状の食品で、後にそうめんに形を変えた
  • 七夕にそうめんを食べるのは涼を取るためと小麦の収穫を祝う意味がある
  • 北海道などでは「ろうそくもらい」という地域独自の七夕行事がある
  • 子どもたちが歌を歌いながら近所を回り、お菓子や小遣いをもらう風習である
  • 短冊を飾る習慣は室町時代に始まり、江戸時代に庶民にも広まった
  • 短冊には学問や芸事の上達などの願いを書くようになった
  • 笹に短冊を吊るすのは、笹が邪気を祓う神聖な植物とされているためである
  • 宮城の「仙台七夕まつり」など、全国各地で大規模な七夕祭りが行われている
  • 七夕の節句は五節句の一つで、他には人日・上巳・端午・重陽の節句がある
  • 五節句は陰陽五行説に基づき、邪気祓いと無病息災を願う伝統行事である

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