建国記念日の由来や意味と建国記念の日との違いや紀元節との関係!
何かと連休の多かった1月が終わり、2月に入ると心なしか休みが少なく感じてしまうものですが、そんな2月にも土日以外の休みがあることをご存知でしょうか。
それは、2月11日にある国民の祝日(建国記念の日)です。
国民の祝日って何のお祝いなのかよくわからないけど、学校や会社が休みになるからラッキー、という方も多いでしょうが、この祝日は他の祝日とは少し意味合いが異なる日なのです。
2月11日は<建国記念の日>となっています。
建国記念ってことは、日本が出来た日?
と思いますが、調べてみると実はそうではないことがわかりました。
「えっ?それならどうしてお祝いするの?」と不思議に感じますよね?
そこで今回は、知られざる建国記念の日についてご紹介したいと思います。
また、「建国記念の日って建国記念日とは違うの?」という疑問も多いことから、今日はそちらにもズバッとお答えしてみたいと思います。
「建国記念日」と「建国記念の日」との違いは?
かつて、神話上の人物とされる神武天皇が天皇に即位した日を紀元節としてお祝いし、明治時代にはその日を建国記念日として制定しようとしましたが、その実現には至らなかったことから日本には「建国記念日」は存在しません。
では、毎年2月11日の祝日は何なのだろう?と疑問が沸きますよね。
これは、カレンダーなどをよく見て頂くとわかるのですが、2月11日は「建国記念日」ではなく「建国記念の日」と記載されています。
建国記念と日の間に〝の〟が入っているかいないかの違いですが、実はこれには大きな違いがあります。
建国記念日は建国された日を指しますが、建国記念の日は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」とされています。
つまり、建国記念の日とは建国された日を指すものではなく、日本という国が建国された事象そのものをお祝いする日、という意味になっているのです。
建国記念日とは?
建国記念日とは、書いて字の如く、「その国が建てられた(建国)記念の日」という意味です。
ただし、何を以て建国とするかは各国で定義が異なっており、日本においては神倭伊波礼比古命(カムヤマトイワレビコノミコト)が神武天皇として初代天皇に即位した日とされています。
とは言え、神武天皇は実在した人物ではなく、神話上の人物という説が有力視されているため、神武天皇が日本を建国したという真相は不明となっています。
建国記念日の由来は?紀元節との関係は?
建国記念日は、明治時代に「神武天皇が即位した日を日本の始まりとする日」=紀元の日としたことから始まりました。
当初はこの日を「紀元節」と言い、太陰暦では1月29日でしたが後に太陽暦となった時、改めて2月11日に制定されました。
しかし、紀元節は戦後に占領軍によって一度は廃止されてしまいます。
そして、1951年頃から再び紀元節の復活を望む国民の声が高まり、1957年には建国記念日を制定するための法案が提出されたのですが、野党の強い反発により実現には至りませんでした。
その後、この法案は9回も廃案を繰り返し、1966年に「建国記念日」ではなく「建国記念の日」の法案が国会を通り、1967年より施行されました。
建国記念日の意味は?
建国記念日の定義は各国で異なり、例えばアメリカやカナダ、マレーシア、ブラジル、ナイジェリアなど多くの国では植民地や統治下から独立した日を指し、イタリアやタイでは王制から共和制や立憲政治に代わった日、ドイツでは東西が再統一した日を建国記念日と定めています。
ちなみに、日本には建国記念日という概念はありません。
これは、日本の建国そのものが不明となっていることから、正確な建国日というのがわからないためです。
そのため、日本には建国記念日というのは存在せず、その代わりに「建国記念の日」があるのです。
建国記念の日はいつ定められたの?なぜ祝日になったの?
建国記念の日は、1966年に制定され翌年の1967年から施行されています。
日本では祝日を適用する際に、国民の祝日に関する法律(祝日法)によって日付を定めているのに対し、この建国記念の日は政令で定める日とされています。
これは、当初は建国記念日として制定しようとしたものの、専門家などから「日本建国の歴史が詳しく解明されていないのに、建国日を定められない」という反対意見が多く出た結果、建国記念の日として定めることになったため、祝日法ではなく政令で定めたとされています。
日本という名前の由来を教えて!
日本にまだ表記の定着がなかった時代、すでに漢字の発達していた中国では日本のことを蔑称で「倭(わ)」と呼んでいました。
しかし、倭という文字はいい意味で使われないことから、これを嫌った日本は倭の代わりに同じ発音である「和」を用いるようになります。
さらに、この和に尊称の意味がある大を付け、大和と書いて「ヤマト」と呼ぶようになりました。
7世紀に入り、中国との貿易交渉が始まると、対外的にも倭(倭国)と名乗ることを避けるようになり、「日出処(ひいずるところ)」と称するようになります。
これは、中国から見て日本の位置が東にあったため、太陽が先に登るという意味があったそうです。
一説には、聖徳太子が中国への手紙を送った際にも、大和ではなく「日出処」と表記したと言われています。
この日出処が、日の元→日本へと変化していったというのが、日本の由来とされています。
701年の大宝律法で正式に日本という表記になりましたが、この時の呼び名は「ひのもと」もしくは「やまと」でした。
日本を、にほん(もしくはにっぽん)と読むようになったのは、室町時代からと言われています。
まとめ
いかがでしたか?
建国記念日と建国記念の日は、実は意味が違う日だったのです。
そして、日本には明確な建国記念日というのが存在していないこともわかりました。
とは言え、日本という国が世界に実在していることに代わりはありません。
どこの誰が築いたかはわかりませんが、その第一歩が無ければ今の日本はないのですから、建国記念の日には建国をしのび、国を愛する心を養ってみましょう。
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